
ふるさとで祖父が販売した駅弁の味を後世に伝えたい-。北海道開発局を早期退職して起業した札幌の女性が、オホーツク海沿いを走った国鉄名寄線の渚滑駅(紋別市)の名物駅弁「帆立めし」の復活販売に取り組んでいる。鉄路が消えて36年になるが、味と列車の思い出を語り継ごうと意欲を燃やす。
「幻のお弁当はいかがですか」。昨年12月14、15の両日、札幌市中央区の「北海道鉄道博覧会」で、ホタテをたっぷり使った弁当が並んだ。
うまみを凝縮した紋別産の乾燥貝柱を炊き込んだご飯。両日とも各50個が1時間弱で売り切れた。「思ったより回転がよかった」。弁当の調理から販売まで担った広川まどかさん(札幌市西区在住)は笑顔を見せた。
広川さんは紋別市出身。祖父の村上俊正さん(1980年死去)が渚滑駅前で食堂「村上待合所」を営んでいた。渚滑駅はかつてオホーツク管内滝上町を結んだ国鉄渚滑線の分岐駅で、駅弁は曾祖父の代からという。

だが、過疎化や自動車の普及で乗客は減少。78年に駅弁が姿を消し、85年に渚滑線、 89年には名寄線が廃止された。
広川さんは開発局で道産ワイン振興など一次産品の付加価値向上に取り組んできたが「あくまで誰かを後押しする仕事」に歯がゆさを感じ2023年3月に退職。自らのルーツである渚滑駅前食堂の駅弁復活に乗り出した。
レシピは広川さんの父で、元紋別市職員の村上信一さん(83)が引き継いでいた。包装紙も昔通りに再現した。23年6月、JR学園都市線の八軒駅前(西区)でのイベントに出展。2日間で400個が売れた。昨年9月には北3条広場「アカプラ」(中央区)で行われた「鉄道フェスティバルin北海道」で120個を販売した。
03年に紋別の水産加工場が、父信一さんからレシピを聞いて東京の駅弁大会で復活させたときには全国4位の人気を誇ったという。「『次はいつ』と声をかけられる」。今はイベントに限られるが「今後も続けられる方法を探したい」と話す。 (佐藤元治)
(北海道新聞2025年1月15日掲載)