
クラフトビールの醸造所といえば、大きなステンレス製のタンクがそびえる光景を思い浮かべる人も多いでしょう。でも、スミカワビールの工場には、発酵中のビールが入った高さ1メートル余りの冷蔵ストッカーがいくつも並び、ラーメン店がスープをとるような寸胴とコンロが2口あるだけ。スミカワビールは、この簡易的な装置から、多種多様な質の高いクラフトビールを生み出しています。
少量製造を活かし、多彩なビアスタイルに挑戦

発酵タンクの代わりは食品用ビニール袋を入れた冷蔵ストッカー。温度管理は陸ガメなどのペット飼育用の温度計測器を利用し、設定温度を超えると自動で冷蔵のスイッチが入ります。麦汁の抽出や煮沸には、寸胴鍋を使います。寸胴鍋を温めるのは、これもラーメン店などで使われる業務用のガスコンロ。代表の斎藤泰洋さんは「うちの装置は、たいていはホームセンターで購入できるもの。初期投資が抑えられ、壊れてもホームセンターに走れば、自前でどうにかできます」と笑います。

1つの冷蔵ストッカーで作ることのできるのは、150リットル。そこからおりを引くと120リットルのビールができます。15リットルの樽なら8本、350ミリリットル缶なら340本ほどと、少量です。少量だからこそ、いろいろなタイプのビール製造に挑戦しやすく、斎藤さんは「同じビールは2度とつくらない」と決め、原材料や分量を変えながら多種多様なビールを製造してきました。これまでつくってきたビールは600種類ほど。斎藤さんは「自称・世界一レシピ数の多いブルワリーです」と話します。
ミュンヘンのヴァイツェンに感激し、醸造の夢

斎藤さんはIT関連企業で働いていた1990年ごろ、出張先のドイツ・ミュンヘンで飲んだビールのおいしさに感激。そのビールはヴァイツェンで、「いつか、こんなおいしいビールをつくりたい」と密かに夢を抱いたそうです。その後、何度もドイツを訪れ、クラフトビールを味わいました。ベンチャー企業に転職後、友人が運営していたドイツビールの輸入会社の手伝いを経て、2011年に札幌市南区澄川にビールとそれに合う洋食料理を出す店「ビアパブ・ひらら」をオープンさせました。札幌・澄川を選んだのは、IT企業勤務時代に転勤で住んでいたのが澄川だったから。店は現在も澄川にありますが、工場は2020年に現在の西岡に移転しました。

2000年代に入ってからのアメリカのクラフトビールブームを受け、日本でも専門店や愛好者が増えてきた10年ほど前、斎藤さんは関心を持っていたビール醸造に向け、模索を始めました。ところが、ビール製造は「装置産業」と言われるように、設備が大型で初期投資が高額。アメリカ製のビール製造装置は1億円、安価な中国製でも5000万円ほどかかることが分かったそう。斎藤さんは「50歳過ぎて、多額の借金をするのも」と躊躇し、ひとまず見送りました。
転機は2017年のビアフェスで出会った1杯のビールでした。島根県の石見(いわみ)麦酒のベルジャンホワイト。香りが高く、すっきりした味わいで、すっかりとりこになり、造り手の山口巌雄さんに頼んで、工場を見学させてもらいました。
工場に行ってみると、現在のスミカワビールと同様、小さな冷蔵ストッカーが並んでいるだけ。斎藤さんは開口一番、思わず「この工場、いくらでつくりましたか?」と尋ねたそうです。設備投資は300万円ほどで、補助金を活用すれば自己資金は150万円程度と聞いた斎藤さんは、迷わず参入を決意。山口さんに弟子入りすることをお願いし、快く受け入れてくれたそうです。山口さんの醸造所は、「石見式」と呼ばれ、全国各地から視察が相次いでおり、全国のクラフトビール醸造所の1割程度が「石見式」を導入しているとされています。
斎藤さんがビアフェスで石見麦酒のビールに出会ったのが、6月。9月には3週間、石見麦酒で研修を受けました。その後、法人を設立。翌年3月には酒造免許を取得、4月から製造を始めるというスピーディーさでした。
研修生受け入れ、技を伝える

当初は、店の厨房で製造していました。チャレンジ精神で、さまざまなビールづくりに挑戦し、野生酵母を培養したり、日本酒の吟醸酒の酵母を使ってみたり。国産の生のベルガモットと紅茶のフレーバーのビールやフルーツビールもつくりました。相手先ブランド製品(OEM)も手がけ、結婚式の乾杯用や引き出物用のビール、クラフトビール店のオリジナルビールなどもつくってきたそうです。

ただ、中には失敗も。ちょっと塩味のあるビールをつくろうとした時には、塩の割合を間違え、しょっぱいビールにしてしまったことがあったそうです。ところが、斎藤さんは「店で『まずいビールがある』と言ったら、ものめずらしさから飲んでみたいというお客さんがたくさんいて、すぐに売り切れちゃった」と、笑いに変えて話してくれました。

工場のある西岡にはかつて、サッポロビールの直営ホップ園があったことにちなみ、斎藤さんは昨年夏、地元の西岡商工振興会の依頼で西岡産ホップを使い、OEMでオリジナルビールをつくりました。現在、スミカワビールが使う原材料の産地は、麦芽がドイツ、一部がイギリスやアメリカ、ホップはアメリカやニュージーランド、オーストラリアと、海外産が主体。価格は高いものの、道産の麦芽を生産している事業者もいることから、斎藤さんは「道産原料100%のヴァイツェンをつくるのが、今年の目標。ブドウ酵母を分けてもらうことができれば、酵母も道産を使ってみたい」と話しています。

斎藤さんがビールをつくり始めて7年以上が過ぎました。斎藤さんは、醸造所を開きたいという人たちを研修生として受け入れており、スミカワビールで修行をして独立、開業した人たちもたくさんいます。斎藤さんは「私も島根の師匠に助けられた。教えることのできるキャリアができたら、必要としている人に伝えたい」と労を惜しみません。「ほしければレシピも教えるけれど、釜が変わったり、造り手が変わったりすると、味も変わる。いくら厳密に材料を量って条件をそろえても同じにならない。お母さんの手料理と一緒です」。奥の深い世界で、斎藤さんはビールを造り続けています。
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北海道では近年、クラフトビールのブルワリーが急増し、各地で毎年、新しいクラフトビールが誕生しています。単なるブームではなく、ワインでいえば「テロワール(風土)」を生かしたその土地ならではのビールが地域の人々に迎え入れられています。各地のクラフトビールの醸造所を訪ね、つくり手の情熱や思い、ビールのおいしさを伝えます。