「蝦夷(えぞ)の三絶(さんぜつ)」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
今から150年以上前、北海道の「絶品の食」とされ、内地(道外)から来た人に誇るべき食べ物として紹介されていた3品です。いわば江戸時代の「行ったら絶対食べなきゃだめ! 北海道三大グルメ」。なんだと思います?
誰が言ったのか?
答え…の前に、「誰が言ったんだ?」って話から。
「蝦夷の三絶」との記述は、栗本鋤雲(くりもと・じょうん、1822-1897年)が著した「匏庵遺稿(ほうあんいこう)」の中にあります。
栗本鋤雲とは
この方、江戸幕府の医師です。が、いろいろあって安政5年(1858年)、北海道勤務を命じられます。当時蝦夷地と呼ばれ、「未開の地」とされていた北海道。函館に向かわされて、奥さんが「左遷だ」と嘆いたとか。
しかし、北海道勤務は栗本の一大転機となります。文久元年(1861年)には北海道初の病院で、現在の市立函館病院の前身となる箱館医学所を創設。文久2年に箱館奉行組頭に命じられるなど、道南開拓の基礎を築き、文久3年には江戸に返り咲きます。函館滞在中にフランス領事と親交を深めた功績などから、江戸幕府の外国奉行に取り立てられ、後にジャーナリストとして活躍した人物です。
匏庵遺稿は、そんな栗本が著作として刊行した蝦夷地在勤時代の備忘録や、その後のパリ滞在時の見聞録、新聞や雑誌に掲載した詩文などを、栗本の没後に集め、1900年に出版されました。
蝦夷の三絶は、蝦夷地でのことを書いた記述の中で、道外の人に誇るべきものとして紹介されています。
その3つとは、
さて、その3つとは、
①天塩川のシジミ
②厚岸湾のカキ
③十勝川のフナ
です。
いずれも他の場所にないほど豊富な資源がある、と書かれています。
どうですか?
天塩町のシジミは、大きさとおいしさで今も有名で、最近はなかなか入手困難になりつつあります。
厚岸町のカキも全国区の知名度ではないでしょうか。
謎の蝦夷三絶その3
十勝川のフナは今となっては謎ですが、栗本は、全長30センチメートル余りの大きさで、魚卵があって肉厚な身は絶品だと記しています。
もう1つ、栗本チョイス「俺の蝦夷三絶」
ちなみに、栗本は当時一般的に言われていたと思われる「蝦夷の三絶」を紹介した後に、私が密かに(?)選んだ北海道三大絶品もあげています。
つまり栗本チョイスによる「俺の蝦夷三絶」です。
「俺の蝦夷三絶」は、「道内の他の場所にはないこと」「わずかにこの土地にだけとどまっていて、しかもサケ、タラ、青魚などのように、よそに運ぶものではないもの」を条件に挙げています。
その3品とは、
すなわち、
①絵鞆(室蘭市絵鞆町)の帆立貝
②エトロフ(択捉島)の虹鱒
③石狩の背腸
なり、です。
①は、噴火湾産ホタテですね。噴火湾はホタテ養殖の一大産地で、そこで水揚げされるホタテは、国内は元より中国など海外にも多く輸出されています。
②択捉島のニジマスは、どんな味なんでしょう?
③は「めふん」ですね。サケの背わた、つまり中骨に沿って付いている腎臓(血合い)を塩で漬け込んだ、希少価値が高く珍味中の珍味です。めふんの名前の由来は、アイヌ語で腎臓を意味する「メフル」だそうです。学生時代に練習船で北洋サケマス漁に出かけ、甲板の上で「めふん欠き」をしていた編集長の山﨑としては、非常に思い入れが強い味覚です。
お酒の肴は元より、ご飯のお供にも最高の1品ですが、製造には手間と時間がかかるため、注文できる店も減ってきて、めっきり口にする機会が減りました。
買えます、食べられます
でも、食べてみたい方、ご安心ください。
栗本が絶賛した石狩川に遡上する秋サケの水産加工からスタートした海産物製造販売「佐藤水産」が頑張って、塩漬けと醤油漬けを販売しています。「メフンとチーズを交ぜて食べてもおいしいですよ」(同社)とのこと。
昔からあった「三大○○」
ちなみに遺稿の中には、船大工など腕の良い職人を列挙した「函館三工」などの記述もあります。「三大○○」は、昔からあったんですね。
3部作でおくる「150年前からあった北海道三大グルメ」。第2部と第3部では、元祖「三絶」のうち、今も「北海道の絶品グルメ」に名を連ねる「厚岸のカキ」と「天塩川のシジミ」を本場で味わう絶品スポットをご紹介します。食べに行きたくなりますよ。
◇150年前からあった北海道三大グルメ②<牡蠣編>に続く-。
150年前からあった北海道三大グルメ~②牡蠣編~厚岸特産の美味しい牡蠣を存分に味わう〈編集長☆発〉
〈山﨑編集長☆発〉150年前からあった北海道三大グルメ③<シジミ編>半端ない大きさ&濃厚だし